宇和島さんさ 華之将の民謡 愛媛県民謡 について・・・
「宇和島さんさ」...愛媛県民謡...宇和島藩五代藩主「伊達秀宗」は伊達政宗の長男だったが、豊臣秀吉の猶子となり、秀吉のもとで元服し、秀吉から一字を賜って秀宗と名乗った。大坂冬の陣には父・政宗とともに徳川側として参陣し初陣を飾る。戦後、大御所徳川家康から参陣の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として受け継ぐ。諸説があるが、側室の子であることや、人質とは言え秀吉の側にいた身から仙台藩の藩主としてふさわしくないと伊達政宗が考えだという説や、徳川家康が伊達藩をあまり大きくしたくないので仙台から遠く離れた宇和島に領地を与えたとも言われる。この歌には本来仙台伊達60万石の大大名の跡継ぎが、四国の10万石になった悔しさが滲む。家臣の指揮を鼓舞するために作られた珍しい武家の民謡でもある。仙台の伊達本家とは悉く感情的にも実質的にも対立していたようです。別名を「諸共節」とも言う。哀愁のある旋律は民謡とは言えないものを感じます。なお、父の伊達政宗は戦勝の帰りには必ず「さんさ時雨」と歌ったと伝えられえいます。
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