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【探訪】海を渡った多くの思い  青函連絡船

   
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【探訪】海を渡った多くの思い  青函連絡船 について・・・

むせび泣くような汽笛が鳴り響き、蛍の光が流れる中、津軽海峡をはさんだ青森と函館の桟橋では涙の乗客や船員たちが手を振り合った。昭和63年3月13日、青函連絡船は薄暮の海に白い航跡を残し、80年にわたる歴史に終止符を打った。 鉄道連絡船は、島国の日本に張り巡らされたレールとレールをつなぐ役割を果たした。本州と北海道をつなぐ青函連絡船が就航したのは、今から100年前の明治41年。船内にはレールが敷かれ、荷物を積み替えることなく、貨車ごと船に載せられた。 青函連絡船は圧倒的な輸送力で北国の物流を支え、生活の足としてもなくてはならない存在だった。運んだのは人と貨物だけではない。昭和39年には東京オリンピックの聖火も連絡船とともに海峡を渡った。 だが、80年の歴史は凪(な)ぎばかりではなかった。終戦直前の昭和20年7月には米軍の空襲によって壊滅的な打撃を受け、29年9月26日には津軽海峡を襲った台風15号によって、洞爺丸など5隻が海底に沈み、乗員・乗客1430人が犠牲となる悲しい歴史も刻んだ。そしてこの洞爺丸事故が青函トンネル建設への大きなターニングポイントとなった。 昭和48年をピークに利用者や貨物量が減少し続けた青函連絡船は、トンネルの開通によって鉄道連絡船としての役目を終えた。 あの日、最終航行を務めた八甲田丸はいまも青森港につながれている。貨車を船に載せる可動橋もそのままだ。だが風雪にさらされ続けた船体にはさびが目立ち、うら寂しさが漂う。青森駅から八甲田丸へと続く桟橋を見上げていたら、かつて修学旅行で乗った連絡船の記憶がよみがえってきた。 80年間で運んだのは1億6000万人の乗客と2億5000万トンの貨物。総航行距離は地球2019周分にも及ぶ。就職や新婚旅行、傷心を抱いての北帰行。人生の節目に海を越えた人たちのそれぞれの思い出が、いまもそこに詰まっている。(写真報道局 奈須稔)



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